□ 村の鍛冶屋_FACTORY STORE=徳地小古祖の作業場の営業情報
「作家」をきどって手縫いを売り物にしてるわけではありません。
手縫いでやっているのは、
ミシンや機械を使って大量生産されるものとは違う、理にかなったモノができるからです。
「こういう形」ってのがシンプルにできる。
村の鍛冶屋は、使う人の人数分だけ違うものを作ることも覚悟します。
工業製品の革が布と同じ製法なら、
木工に近いような工程、「柔らかく・曲がる木」を手縫いしている感じでしょうか。
ミシンで作るものは、裏返して縫うために、
魔法のような工程や作り方を考える専門家が必要です。
ミシンをとおすためには、縫い合わす革の部分を、紙のように薄く
(心配になるほど、紙のように薄いです)漉く作業も必要になってきます。
「村の鍛冶屋」は、そういった
大量生産用の専門的なことは、できません。
時間はかかるけれど、
縫い目に穴をあけて、
二本の針で革を貫通させて、縫っています。
村の鍛冶屋は、
マーケティングなんか知りません。
考えるのは、使う人一人の都合だけ。
たくさん売るためだけが目的の、個性のない商品も、
売上のためだけにでっちあげた流行にあわせたものも、
過度に親切で、不必要な「便利」を追求したものも、
使うとすぐに剥がれ落ちる厚化粧みたいな仕上げも、
そんなものとは、無縁でいたいと考えます。
イイ物が毎年変るなんてことは、ありませんよね。
村の鍛冶屋は、
経済の発展には寄与できません。
村の鍛冶屋に関わる人が、圧倒的に少ないからです。
ものを作る自分、
材料を売ってくれる会社、
運んでくれる運送屋、
販売してもらうお店。
これだけにしか、お金は落ちません。
大きな商売だと、
ましてラグジュアリーなブランドだと、
広告会社、
パーティーをするホテル、
アンバサダーとか呼ばれている俳優やスポーツ選手、
それに、たくさんの間接部門の人たちの経費、
豪華な直営店やオフィス、
などなどなどなど、
たくさんの人たちにその経済効果が波及していくわけです。
で、もちろん、そのお金は全部、商品の値段に。
誰が決めたかもわからないようなルールで、お金儲けの競争をしている、
経済成長だけを目指す社会にも
加担したくはないから。